かつて南方熊楠が没頭した真正粘菌の研究から発展し、古細菌の研究へ至って生命科学の分野では最近めざましい成果が出ている。特に3つのドメインが地球上の生物の系統樹として存在し、これ以外の生命は存在しないという発見は特筆すべきだろう。 ひとつはわれわれ人類の含まれる真核生物、二つ目は原核生物で真正細菌と古細菌に分かれる。古細菌(アーキア)は結局現在の生命全ての始原にあり、全く独立して現在に至るまでその強力な生命力で生き抜いている。おそらく他の2つのドメインを占めている生物が滅亡してもアーキアは生き残るだろう。われわれ人類が生命の中で最も優れていると勘違いし、驕っているのをあざ笑うかのようにアーキアのドメイン(生存領域)は拡張されるだろう。つまるところ、この地球上はドメイン競争の場なのだ。
人類が愚かにもその領土紛争を繰り返している間に、インフルエンザや癌、さまざまな感染症は全ての哺乳類をはじめとする生命の存在領域を奪うだろう。ツボカビが爬虫類の生命を簡単に奪うのも同様な傾向だろう。
生存できるわずかな隙間、そのニッチになんとか生き延びるために人類は苦闘している。インターネットでドメイン競争をしているうちにそれぞれのドメインにあるサイトはウイルスで汚染されているのだ。インターネットの世界と自然の世界のアナロジーは尽きるところがない。そしてこれらを表現する言葉が正しく事態を表現している。だれが表現を考え出したかはわからないが言葉の不思議な力が事態を理解可能にしている。
2チャンネルでひろゆきの自演と思われるドメイン差し押さえが騒がれているが、ドメインを世界規模で考えるよい機会だと思う。インターネットは鳥インフルエンザと同様に国境がない。そこに本質があると言えよう。ドメイン競争になじまないのだ。インターネットを使っている人類は名前に力が宿っているような錯覚をもっていると思う。長期的に見れば力の源泉は局所的なエントロピーの減少にすぎないから、名前にこだわるドメイン競争は無意味といえるだろう。
2007-01-27
2007-01-13
エンタングルメント
理化学研究所が発表した量子コンピュータの要素技術となるべき回路の構成の内容は実に不思議なものだ。こういった知恵が出てくるためには量子状態と古典的状態にかかわる深い理解が必要だと思うが汎用性のある実用的な回路設計が出現したことで今後の量子コンピュータへの応用が期待される。
特に特定の量子状態の操作は、3つの微小な超伝導デバイスにより構成され、3つの超伝導電子対の方が、電子1つ1つの場合よりも簡単となるそうだ。こうした「巨視的』な量子状態を制御できれば、量子物理学を特徴づけるエンタングルメント(あたかも3つの箱が1つの構成物の一部であるかのように、同じ情報を共有するという事態で、それぞれの箱が1つの量子的な粒子としてふるまっている)のような現象を巨視的なレベルで検証することが可能になるということだそうだ。
特に特定の量子状態の操作は、3つの微小な超伝導デバイスにより構成され、3つの超伝導電子対の方が、電子1つ1つの場合よりも簡単となるそうだ。こうした「巨視的』な量子状態を制御できれば、量子物理学を特徴づけるエンタングルメント(あたかも3つの箱が1つの構成物の一部であるかのように、同じ情報を共有するという事態で、それぞれの箱が1つの量子的な粒子としてふるまっている)のような現象を巨視的なレベルで検証することが可能になるということだそうだ。
2007-01-09
オブジェクティブリダクション
ロジャーペンローズのオブジェクティブリダクション(OR)に関する議論は重ねあわされた二つの時空構造のうちどちらかが支配的になり、状態はどちらかの古典的時空構造へ落ち込む瞬間に関するものだ。分岐しつつある時空構造の内部的な幾何学が四次元時空計量のうえの「シンプレクティック測度」として表されるということらしい。分裂は時間と空間にまたがる分裂であり、絶対単位系でS=Eの式で与えられる。(Sは分裂の大きさ、Eは重ねあわされた時空構造の間の差に対応する重力場の自己エネルギー)
ペンローズの主張の核心はこれらの量子力学的スケールが古典力学的スケールまで拡大するという点だ。われわれ人類を含む生物全てに等しく意識をもたらすマイクロチューブルに関する洞察はたしかに魅力にあふれる主張といえる。
ペンローズの主張の核心はこれらの量子力学的スケールが古典力学的スケールまで拡大するという点だ。われわれ人類を含む生物全てに等しく意識をもたらすマイクロチューブルに関する洞察はたしかに魅力にあふれる主張といえる。
2007-01-01
言行不一致の必然
わが国の首脳は言行一致を目指すと言ったようだ。
しかし、いろいろと対立することの多い認知科学と精神分析でめずらしく意見の一致を見ているのが「人間の心は一様ではない」という点だそうだ。(吉田信彌「事故と心理」)
近代民主主義では言行一致は徳目であるとともに前提でもある。ところが、心は一様ではないとの人間観は、言行不一致ということである。明晰な自覚のもとで発した言葉でもそれと乖離した行動を人はしてしまう。うそをつくわけではなく、そう行動せざるをえない一面が多々あるというのが、精神分析を含む人間に関する近年の研究が達した一つの結論だそうだ。
昨年の交通事故の激減はこれらの研究の成果のひとつともいえるだろうが、日頃厳密に振り返ることの少ない自らの行動を考えても、そうなんだろうなという感想と、しかしそれでも目指すべきは言行の一致だという思いとが交錯する。
しかし、いろいろと対立することの多い認知科学と精神分析でめずらしく意見の一致を見ているのが「人間の心は一様ではない」という点だそうだ。(吉田信彌「事故と心理」)
近代民主主義では言行一致は徳目であるとともに前提でもある。ところが、心は一様ではないとの人間観は、言行不一致ということである。明晰な自覚のもとで発した言葉でもそれと乖離した行動を人はしてしまう。うそをつくわけではなく、そう行動せざるをえない一面が多々あるというのが、精神分析を含む人間に関する近年の研究が達した一つの結論だそうだ。
昨年の交通事故の激減はこれらの研究の成果のひとつともいえるだろうが、日頃厳密に振り返ることの少ない自らの行動を考えても、そうなんだろうなという感想と、しかしそれでも目指すべきは言行の一致だという思いとが交錯する。
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